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- 自分のなかから出てくるものを表現したくなった。
その手段として選んだのが絵だった
- 芸人、役者、ボクサー、そして画家と、「腹の主」の声に素直にしたがって活動の幅を広げてきました。画家という肩書きもすっかり定着しましたが、39歳で絵を描きはじめるまで、美術館に行ったこともなかったとか?
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はい。それまで、全然絵というものに感動したこともなければ、子どもの頃のお絵かき以来、もちろん描いたこともなかった。ただ、後から考えると、ほかの授業に比べれば嫌いじゃなかったという程度。賞をもらったことがあるとか、「うまい!」って褒められたことなんかないんですけどね。
それがある日突然、朝、出掛けになんとなく朱色の気配を感じてふっと見たら、「いやぁ、なんてかわいい素敵な花だろう」と胸がキュッとするような体験をしたのが椿だったんです。そしたら、無性に椿を描きたい、描けるようになりたいと思うようになったんですね。それまでだって椿や花は見ていたのに、たしかにきれいだとは思っても感動までは覚えたことがなかった。はじめて花に感動したのが、その瞬間、その椿。そして、花に感動した自分の感性に、自分自身が驚いた。
- それまでは生業のほうに一生懸命で、花を愛でる心のゆとりがなかったとか、年齢的なものがあるんでしょうか?
- たしかにそれもあると思います。だけど、感性がある方は、いくら忙しくても花を愛でることもしますものね。やはり私のなかでは、潜在的にはあったかもしれないけど、まだそういう感性が眠っていて顕著に出てこなかった。それがようやくポンと出た。それに感動して、絵を描く才能があるのかどうかなんてまったくわからないけど、ただ描いてみたいという思いが非常に強く出たということでしょうね。
- それは自分を表現したいということの現われでしょうか。
- そうですね。役者というのは、人から与えられたものを表現する仕事。あくまでも受身です。そうじゃなくて、自分のなかから出てくるものを表現したくなった。その手段として選んだのが絵だったということですね。俳句でも詩でもなんでもよかったんでしょうが、たまたま村上豊先生に「あんたは絵描きの顔をしてる。絵を描いたらいいのに」といわれたことがありまして。
- 画家への背中を押してくださったのは画家の村上豊さんということになりますが、村上豊さんとはどういうご縁で?
- タモリさんに誘われて飲みに行ったお店に、村上先生もいらした。そこで似顔絵の話になりまして、「絵がうまくなくちゃダメでしょ?」とうかがったら、「いや、そんなことはない。うまけりゃいいというもんじゃない。全部うまくまとめようとしないで、その人の特徴だけをバーンと出せばいい」とおっしゃった。「僕がやっているモノマネの世界と同じですね」と言ったら、「ああ、そうそう」と。モノをマネるということは、対象をきちんと観察していないとできないこと。絵を描くのも、その対象をものすごく深く見るという点ではいっしょなんですね。どこをどうつかむか。それには長けていたと思います。
そこで、「僕みたいなものでも絵が描けますか?」と問うたら返ってきたのが、さっきのセリフです。以来、アトリエに遊びに行ったりというご縁をいただきました。
- 絵も、それに添えることの多い書も、左手で描くのは偶然発見したことなんですか?
- ボクシングをやってた頃にファイティングポーズをとったら、サウスポーと指摘されました。箸と鉛筆は小さいときに矯正されたとみえて右ですが、考えてみれば、携帯打つのも左とか、潜在的には左なのかなと思って左手に表現させてみた。
- そうしたら、左手が喜んじゃった?
- 喜びましたねぇ。今や左手じゃないと絵、描けないですものね。字も、メモをとるときなどは右手ですが、そういう字にはなんの味も面白みもない。右手には社会的な通念みたいなブレーキがかかってしまうという部分があるのかもしれませんね。
- 絵を描くようになって一番変わったことは?
- 生活ですね。仲間と明け方まで飲むということが、まったくと言っていいほどなくなりました。朝早くから絵を描きたいし、二日酔いで頭がガンガンしてるような状態では絵は描けません。スタミナがいるんですよね。コンディションをととのえておかないと、集中力も持続力ももたない。いい状態で描きたいので夜は早く寝て、朝5時には起きる。アトリエでは独りなので自分で朝食を調えて、お風呂に入って、7時か8時から制作を始めます。
- 健康的ですね。
- 健康的ですよ。コンディションをととのえるには、体にいいものを摂って、しかも腹七分目に抑える。生活が変わるってことは、生き方、考え方、すべてが変わります。一時は、仕事を減らしてでも絵に没頭しましたからね。自分のなかで、ある程度目処がたつまでは自分自身の修練、修行みたいなものを、自分で課していかなければならないだろうと。今もまあ、そんな感じですが。それだけ、描きたい、表現したいという思いが強くて、そっちへ気持ちが行っていたんですね。
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- 描きたいものがどんどん出てきて、死ぬことを忘れているんですね。
- まったくの独学ということですが、最初からうまく描けちゃったのですか?
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いえいえ。とにかく描いて、描いて、描く、それしかないんですね。
- 描いて、気に入らないとビリッ?
- それはないですね。気に入らないところで止めちゃったらダメなんです。気に入るまで、納得できるまで、その一枚にとことんかかわること。気に入らないからって破いちゃったら、また同じところで立ち止まる。それを乗り越えていかなきゃいけないわけですから。
- 何を描くか? 感動がないと描けないとのことですが、描きたいと思うような感動を与えるものとは?
- 何に感動するかなんて、出会ってみなければわからないですものね。出会いがしらでしょうね。出会ってワッときたら描く。絵描きなら、例えば目の前にあるものなら描けるでしょとか、役者だったらどんな役でもできるでしょと思われがちですが、僕は、「この人物に興味があって演ってみたい、だからこの役を演ります」と。人間として尊敬できない人物とか、例えば1ヶ月間、その人物のことを思って、そういう生き方はイヤだと思ったら、そういう人物の役は、僕は演れません。絵も、それと同じです。仮に形だけは描けたとしても、感動がなければ心が入っていけない。
- 魚もよくお描きになっていますが……。
- 秋刀魚やサバなどの旬になると、毎年、描いていますが、それは食べるのが大好きということもありますが、イキのいいのを見るともうたまらないんです。何度描いてもいい。だけど、同じ魚でも熱帯魚にはなんの感動も覚えない。色がきれいすぎて、限定されてしまうつまらなさがあるからかもしれない。秋刀魚やサバ、イワシなど好きな魚の場合は、見たままの色ではなく、そのときに心で感じた色を着せるんです。絵は見るときも描くときも、けっこう色を大事にしていると思います。
中川一政、松田正平、棟方志功、ピカソ、マチス、ゴッホ、モネ……、好きな作家の影響はたくさん受けていますが、共通するのはみなさん「自由」であるということと、やはり「色」がすばらしい。もちろん形と色というのはバランスですから、形もいいんですけどね。
- 本書のなかにも作品が掲載されていますが、実物にはどこでお目にかかれるのでしょう?
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展会場か、あとは美術館ですね。草津、飯坂、山中、伊万里の4ヶ所に私の名前を冠した美術館や工藝館があります。絵を描きはじめて3年間は作品を売りましたが、それ以降は散逸しちゃうので、いっさい売っていません。ありがたいことに、売らんがために描かなきゃならないということがないので、好きで描きたいものだけを遊びながら描いている。それが一番の強みかもしれませんね。
個展は1年間かけて全国を巡回しますので、ホームページでスケジュールを確認のうえ、ぜひ足を運んでいただければうれしいですね。大作の迫力や色調など、肉筆の原画でなければ伝わらないものがありますので。
それと、この本には、ふだん僕が思っているようなことをつらつらと書いてありますが、そのなかから絵を描くことの楽しさを読み取っていただければなと思います。絵手紙でもいいし、ぜひ絵と親しんでいただきたい。1点をじーっと見つめながら絵を描いていると、非常に心が落ち着いて穏やかになれる。自分自身と深いところで会話ができるんです。今は、そういう時間がもてる環境にないですからね。心が荒れていたら、絵は描けません。そういう意味でも、絵を描くという行為はとてもすぐれた情操教育になりますし、描くスペースを確保するために部屋の掃除もしなきゃいけないので、快適な生活空間をととのえるという余得もあります。
- 今後、描きたいと思っているのは?
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奈良大和路とか、風景を描きたい。画家が長生きなのは、旅先の空気のいいところで絵を描いて、俗世間のストレスから解放されるからだとか、手先を使って自分のペースで好きなことを描いてるからだろうと思っていたんですけど、実は、そうじゃないですね。やはり描きたいものがどんどん出てきて、死ぬことを忘れてるんですね。死んじゃいられないんですよ。描きたいものがいっぱいあって。そういう意欲があるから生き続けられる。人間意欲がなくなったり、ヤル気がなくなったら、そういう活力がなくなりますからね。描きたいものが次々と出てくることは幸せですね。

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