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プロフィール
中野裕弓 (なかの ひろみ)
横浜生まれ。スペシャルオリンピックス日本理事。外資系銀行勤務の後、世界銀行本部から日本人初の人事カウンセラーとしてヘッドハントされ4年間勤務。帰国後独立し、全国各地での講演活動、キャリア・コーチおよび企業の人事コンサルティング、コミュニケーション、カウンセリングなど幅広く活躍中。ベストセラーとなった『世界がもし100人の村だったら』の原文を翻訳し日本に初めて紹介した人物としても知られている。著書に『運の流れに乗る、たったひとつの方法』『ちょいスピ』『ちょいスピ7 週間ノート』(以上大和出版)、『スピリチュアル美人』(KKベストセラーズ)など多数。
書籍
美人オーラをつくる! キレイをみがく美的生活はじめましょう
すべてが思いどおりに回りだす!
幸運!スピリチュアル・ライフ

¥1,260(税込)
本書に書かれているスピリチュアルなルールは、人生の成功者と呼ばれる人たちは意識的・無意識的に関わらずみんな知っています。つまりスピリチュアルなルールを知ることは「幸運の女神との付き合い方」を知るのと同じことなのです。
人間が本来もっているすばらしさに気がつくか、気がつかないかのカギは1個だけ。無邪気さです。
“スピリチュアル”ブームの一方で、スピリチュアルと聞いただけでアレルギー反応を起こす人もいると思うのですが。
そうね。宗教めいていてなんか怪しげだと、引いてしまう人もたしかにいます。でも、スピリチュアルは決して怪しいものでも、怖いものでもなく、人生を楽しく生きるためのとても大切なもので、これを知っておいたほうがお得だと言いたかった。でも知らなきゃダメとは思ってないんですよ。知ったほうがお得かな・・・と私自身の体験から思いました。
数年前からはWHO(世界保健機関)でも、人間の健康をみるのに、肉体面、精神面、社会福祉の状態に加えて4番目にスピリチュアル面も必要だといわれるようになってきていると聞きました。それだけ、スピリチュアルが一般生活の領域に入ってきているわけです。
ただし、スピリチュアルというのは、普段の生活をないがしろにして現実の生活を投げ出しちゃっている人が手にすると、のめりこみすぎて魂を奪われたり、バランスを欠いたり、日常生活を逸脱しかねない。だけど、普通に現実をしっかり生きている人が手にするなら、物心両面で絶大な効果を発揮する、そういう諸刃の剣という面もありますね。
中野さんがスピリチュアルと出会ったのは、脊椎側湾症の苦痛、多忙を極める仕事の量、その割には不当な評価に悩んで会社を辞めようとしていたときでした。
心も体もボロボロだったときに、4日間、会社の帰りに瞑想を学ぶセミナーとご縁ができたんです。たまたま私の場合のきっかけはインドのヨガ系の瞑想法でしたが、人によっては、写経が向く人、気功、太極拳、ヨガ、座禅が合う人などいろいろだと思います。要は、それぞれが一日のうちにどこか自己と向き合う時間をつくることによりスピリチュアルの世界のドアが開くのだと思います。
私は、瞑想と歯磨きは同じだと思っているんです(笑)。夜、歯を磨いて寝るとすっきり眠れ、気持ちよく目覚められる。だけど、ときどき疲れてそのまま歯も磨かずにカウチで寝ちゃっても、別に死にはしない。瞑想も、たしかに毎日やると心がきれいになった感じがしてラクですが、忘れたからといってダメというわけではない。そんな感じです。
はじめからそういうお気楽な考え方だからよかったのかもしれません。瞑想をするようになってすぐ、脊椎側湾症の痛みは消え、薬を飲まなくてもよくなったのです。脊椎側湾の状況は同じなのに不思議と痛みが消え、身も心も軽くなって毎日が楽しくなりました。
普通の人がスピリチュアルに関心をもつのは、どんなときなのでしょう?
失恋やリストラ、結婚、離婚、病気、誰かが亡くなったときなど、人生のターニングポイントで出合う人が多いんです。取り立てて考えさせられるようなことがないときはあまりそちらに興味がないのでしょうね。また、日常生活には満足しているけれどより高い次元の幸福、充実感を求めようとしたときもスピリチュアリティに出会うチャンスですね。普通に幸せに生きているマジョリティの人が、もうちょっと深い人生を生きたいと思ったとき、その生きかたの見本、ロールモデルを探しに教祖さまのドアをたたくのはちょっと敷居が高い。でも、会社で仕事をしていて日常的なキャリアを積んだ私のような人間がスピリチュアルについて語ったら、スピリチュアリティの敷居も低くて誰でも受け入れやすい、聞きやすいのではないかと思って、本を書いたり、講演をしたりするようになったんです。
その方法を、高い受講料も払わずに知ってしまってもいいものなのでしょうか?
もちろん! それどころか早く一人ひとりが幸せになったほうが世の中よくなるのが早いでしょ? ごく一部の人だけが幸せだったら、妬みが出たり、相手から奪いたくなる。だからできるだけ手軽に安価にそして少しでも効率よくみんなが幸せになったほうがいいって思うんです。
生まれたての赤ちゃんは、黙っていても、誰に教えられなくてもきれいな風景、美しい音楽、いいにおいのほうに転がっていく能力を持っているそうです。無邪気さという内在する力があるからです。ところが私たち大人は生活経験、教育を通して賢くなったと勘違い。大人の分別、建前、常識を振りかざせば振りかざすほど、本音が見えなくなり無邪気にものを見ることができなくなります。でもたっぷり休息をとったときとか、ものすごく幸せなときって、周りの景色がふだんより鮮やかに見えたり、鳥が啼いても自分のために歌ってくれているように聞こえるでしょ? あれですよ、あの境地に戻ればいいんです。人間が本来もっているすばらしさに気がつくか、気がつかないかのカギは無邪気さ。人生を楽しく生きるコツのひとつが無邪気さなんですね。極端に言えば、私の話からインスピレーションが沸いて「な〜んだ、そんなことでいいんだ」と無邪気さを取り戻したら、瞑想しなくても、人生を心から愉しむ境地になれる。実際そういう人もけっこういるんです。
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私がやろうとしているのは、落ち込んでも大丈夫っていう人生をつくること。私だって、落ち込むことはあります。
その無邪気さを阻んでいるものは?
生活の厳しさだったり、建前や大人の分別だったり、複雑な心の動きです。だって、この世の中ただでさえ毎日生活していくことって大変でしょ? ありとあらゆるストレスの波の中を泳いでいるようなものですから。つまり毎日を生きる私たちにはいろいろな負荷がかかっている。わたしにとってあの時体験した瞑想は、その負荷が気にならなくなることを教えてくれました。
私が瞑想を通して体験したことに“活動と休息は同時にとることができる”ということがあります。それって誰でも持っている神通力じゃないかな。でも、そんなものは「ない」と思わされているから、通常、私たちは活動したらその分、疲れるんです。
よく言われる「火事場の馬鹿力」だって、私たちの中に備わっているのなら、火事がなくてもその力を使えないかって考えませんか? 自分の中にあるスイッチのどれかを押したら、実は私たちはもっともっといろんなことが出来るんじゃないかと思えるようになりました。今までは努力の先にしか成功はないとか、何かを犠牲にしないと手に入らないとか、苦しみあってこその人生とか、さんざん刷り込まれてきました。でも、その気になれば誰でも楽しくラクに生きられる。スピリチュアルって、そのために役に立つ内在する秘密の力で、誰もが持っているもの、特殊な人だけの慰みものじゃないんですよって、声高に叫びたいんです。
願いは思えば叶う、と?
はい。願いって叶えるためにあるんです。そして奇跡も起こすためにあるんですね。
願いを叶えていく人に共通するのは楽しさのエネルギーです。でも苦労しないで、楽しみながらそんなに成功しちゃっていいのかなって思いませんか? 成功には努力、忍耐、犠牲がつきものって思い込んでいるとそうなりますよね。だからそれでいいと思う人の世界ではいいし、それはいけないよと思う人の世界ではいけないんです。どっちを選んでもいい、決めるのはあなた自身です。濡れ手で粟みたいな成功はずるいからダメだと親に叩き込まれていると、それを信じてそういう人生を作ってしまうんです。人間というのは、自分の思いのなかに現実を生み出す − これはどうも決まっていることみたい。どうせ私なんてできっこないと思うと、そうなっちゃうんです。言葉は、まさに言霊なんです。
実は人生はあなたの思い方次第でどうにもなるもの。こういう生き方をしたいか、したくないかだけの問題です。でもね、以前『運の流れにのる、たったひとつの方法』という本を書いて、運の流れにのるのは簡単だってアピールしたら、運の流れにのる方法は学んでおきたいけど、実際に流れにのるのは怖いと言う人が多いのに驚いてしまいました。失うものがあるに違いない、何かを犠牲にしなくてはならないかも、体験したことのない知らない世界は怖い、運が枯渇したらどうする、私には無理、ありえない・・ と怖がっていたら、幸運は手に入らない。無難に、そこそこにって“幸せもどき”で手を打とうとする。もったいない。大丈夫怖くないって思っちゃえばそうなるのに・・・。
でも、そう簡単に自分を変えられるものでしょうか?
それって可能性の確率でしょ? 固定観念とか先入観など、社会生活のなかで刷り込まれたエゴの奥にある、外の情報に侵されることのない私たちの本質=真我にとっては、可能性や確率は問題ではないんです。単に変わりたいか、変わりたくないか、だけの問題です。変わりたい? じゃ、変わります。それでおしまい。シンプルでしょ。ノー・プロブレムです。
私が分かち合おうとしているのは、落ち込まない人生をつくろうとするのではなくて、落ち込んでも大丈夫っていう人生をつくること。私も落ち込むことがあります。でも、どこかで大丈夫って声が聞こえれば、明日も歩いていける。心の奥の声は乗り越えられない課題は降ってこない、何がきても潰されるはずはないって言い切っています(笑)。
落ち込んだときには、どうやって解消するんですか?
解消しようとしない、が答えです。落ち込んだ景色は落ち込んだときにしか見られないと思ってしっかりジタバタする。早く元気になろうとか、歯を食いしばって頑張ろうとか思わずに、とにかく体を楽にして休めるなら休む。大きな飛躍の前は特に、活動を小さくして体力を温存する必要があるんです。調子が悪いのは疲れたからではなく、次に行くための準備に体が冬眠をはじめるから。でも、なかなかそうは思えないで焦りますよね。そういうときの裏技に、スノーエンジェル(雪の天使)という方法があります。アメリカの子どもの遊びで雪が積もったところにバタッと倒れて、手足を大きくジタバタさせるんです。起き上がってみると両手は天使の羽根になり、左右に開いた足はスカートになる。思いっきりジタバタしないときれいなエンジェルの絵が描けない。だから、ウワーッ落ち込んだぁって信頼できる親友に電話して、家の中でじっとしている。ええかっこしいの昔だったら、自分の弱いところは絶対に他人に見せなかった。それが、落ち込んだの、今日は体が動かないのとスノーエンジェル書きまくりを自分に許せるっていいなあと思ったんです。そんなときでも、どこかで必ずこの困難は切り抜けられるとも思っているので安心なんですね。
それと、直感には当たりはずれがないということもわかりましたね。直感はわたしが今必要な情報を間違いなく引っ張ってくる。直感が引っ張ってきた情報に対して当たり! 外れ! なんて一喜一憂せずに、必要なことが起こっているんだと、ただそうシンプルに思うことにしているの。だから直感を信じて歩んでいけばこの道が私にとって今ベストなものが体験できて、早く自分が成長できる、なおかつどんな道にも必ず大きな花が咲くって思っていったら、これからの残りの人生もすべてそれでいけるんじゃないかしら。お気楽でしょ。それでも落ち込んだら、ウーン、スノーエンジェル、ね。
ところで、そういう中野さんの夢は?
世界銀行を辞めようと決心して辞表に書いたのは、「日本の国づくりに参加したい」ということ。日本だけでなくひいてはもっと幸せな世界をつくることが、私の夢であり、ロマンなの。一人ひとりの想いが世界を創っているのだから、ひとりが変われば、世界も変わります。奇跡は起こすもの。そのためにも、スピリチュアルと現実生活を一緒に糊付けして活動する人が、今後ますます必要になると思っているんです。
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